今日5月29日は、令和初の「呉服の日」、そんな日に思う事。
ご紹介 2019年5月29日
vol.838
本日は、今日5月29日は、令和初の「呉服の日」、
そんな日に思う事。です。
岡崎市の呉服屋、呉服のいちこし。
着物を装い素敵になり、
ほめられて笑顔になる、
笑顔作りアドバイザーの
山脇寿人です。
ご訪問ありがとうございます。
呉服の日の呉服とは、中国は
呉の国から伝わった織り方で
作られた反物に由来しています。
綿織物や麻織物を意味する
太物に対し、絹織物を意味する
言葉として使われるようになりました。
江戸時代、上級武士たちは
絹織物で装いましたが
下級武士や商人、町人たちは
綿か麻の織物を着ていました。
綿織物や麻織物は、絹織物よりも
巻きが太くなる所から
「太物」(ふともの)と呼ばれて
江戸時代には、「呉服・太物商」の
看板が掲げられていました。
越後屋 復元看板(三井越後屋ステーションにて撮影) (wikipediaより)
その江戸時代にブランディングや
マーケティングを駆使した企業
「越後屋」が誕生しています。
時代劇に良く出てくるお代官様が
「越後屋、おぬしも悪よの~」と
のたまいますが、実際の越後屋は
創業者の三井高利が詳細な家訓を
残し三井呉服店を経て今の三越に
いたり、ブランディングに貢献してます。
また、当時の呉服商は顧客の注文に
応じて品物を持って行ったり
品物を持って顧客に販売する
今の百貨店の外商に相当する
販売形態で支払は年に1回
ないし2回の掛け売りでしたので
顧客によって値段が変わりました。
その常識を打ち破ったのが
高利で「現金掛値なし」の
スローガンを掲げ、
顧客に分け隔てなく売り、
かつ配った引札(チラシ)の
広告効果測定も行っていました。
ネット美術館「アートまとめん」より
越後屋が誕生してから
現在の三越まで約350年、
日本橋の三越の呉服売り場は
ウイークデイでもあちらにも
こちらにも人がいっぱい、
そして品揃えも素晴らしく
日本一の呉服売り場と思います。
日本橋三越本店(国の重要文化財) (wikipediaより)
そんな三越にあやかりたいと
当店も「一越」と名乗っていましたが
20数年前に心機一転「いちこし」と
改名、今にいたります。
厳しい業界ですが、お客様に
安心と満足を提供し続ける事を
再確認した「呉服の日」となりました。
本日も、お読みいただきありがとうございます。