天気予報も友禅染も繋がりで発展、享受しています。
未分類 2020年8月30日
Vol.1299
本日は、「天気予報も友禅染も
繋がりで発展、享受しています。」
岡崎市の呉服屋、呉服のいちこし。
最適な和装のご提案で貴方を笑顔にいたします!
貴方の和装・お助けマン、 山脇寿人です。
ご訪問ありがとうございます。
今日8月30日は、富士山測候所記念日。
1895年のこの日、富士山頂に
野中測候所が開設しました。
お借りしました。
大日本気象学会の野中至が
私財を投じて建設したもので、
現在の気象庁富士山測候所の
前身となりました。
高層での気象観測所が出来れば
天気予報は必ず当たる様になる、
との信念のもと。
お借りしました。
この1895年に、野中夫婦による
富士山越冬気象観測が10月より
試みられましたが、12月凍傷と
かっけにより観測を断念。
ですが、この事が後に
中央気象台に引き継がれました。
125年も前にこんな事を試みる
人がいる事に驚きます。
それでもそのお陰で今では
時間単位で天気予報が
発表されます。
お借りしました。
友禅染は、それまでの和服の
柄付けの主流だった「惣鹿の子」(絞り)
や「縫箔」(刺繍と金銀箔)、
「錦紗」(金糸)を禁ずる命令が
出た事によります。
扇絵師として一世を風靡した
宮崎友禅斉が描く扇絵。
お借りしました。
その模様を着物に染める為に
発展した「友禅染」。
その技法は、色落ちせず、多彩色と
糸目糊による繊細な輪郭で描く
絵画の様な模様を染めるのに
画期的なものでした。
京友禅、お借りしました。
加賀友禅、お借りしました。
江戸友禅、お借りしました。
その友禅染が京都では
「京友禅」に金沢では
「加賀友禅」に東京では
「江戸友禅」として発展。
あっ!細々とですが
名古屋友禅も存在しています。
それぞれがそれぞれの個性を持って
独特の柄行で今に至っています。
天和3年(1683)に贅沢禁止令が
出なければ、今日の友禅染の
発展もなかった事でしょう。
こんな風に何かのきっかけで
その後の業界が様変わりする。
そしてそれが後世に伝えられ
発展して、それを私たちが享受する。
何事も繋がっている事を
改めて学んだ8月30日でした。
本日もお読みいただき
誠にありがとうございました。