人間国宝・芹沢銈介先生の作品をご紹介いたします。
ご紹介 2021年2月16日
ウイキペディアより
Vol.1467
本日は、「人間国宝・芹沢銈介先生の
作品をご紹介いたします。」
岡崎市の呉服屋、呉服のいちこし。
貴女とお場所に合った最適和装をご提案!
貴女の和装のお助けマン、 山脇寿人です。
ご訪問ありがとうございます。
昨日の続き、人間国宝
芹沢銈介先生の人となりと
作品のご紹介です。
先生は、30代初めに「民藝運動の父」
と呼ばれる柳宗悦の論文に触れ、
深く感銘を受けました。
そして1928年に開催された
大礼記念国産振興博覧会に
柳たちが出展した 「民藝館」を訪れます。
そこに掛けてあった沖縄紅型の
風呂敷に強く惹かれます。
「その模様、その色、その材料、
こんな美しい楽しい染物以上の
染物があるかと、 夢のような思いでした」
と当時の思いを回顧したそうです。
1939年、芹沢は柳らと沖縄に滞在し、
知念績秀から紅型の指導を受けました。
また、スケッチをしたり、民謡の
手ほどきを受けたりと沖縄を満喫。
作品にも色濃く影響を受けています。
今日は、着物を中心にご覧いただきます。
代表作、いろは文きもの、お借りしました。
拡大、お借りしました。
紅型の影響を受けた着物、お借りしました。
左、沖縄笹団扇柄きもの、お借りしました。
右、伊曽保物語屏風、お借りしました。
左、竹に小梅文飾り布(綿生地)、お借りしました。
右、松皮菱に模様入丸文散らし着物(部分)、お借りしました。
で、当店所有の額、偶然にも
上の竹に小梅文飾り布と同柄。
型染ならではの、同柄ですが
上は綿生地で下は縮緬地です。
「自分は目的地へ自動車を走らせる
ことは好まない。ましてバスは御免蒙りたい。
自分の足を運んで途中を楽しみたい。
苦しみたい。手仕事で、その途中が
如何に喜びか、またその間の時が、
真によき仕事のために貴重に働くかを痛感する。」
1957年「婦人画報2月号」より
芹沢先生の言葉で締めます。
本日もお読みいただき
誠にありがとうございます。