末廣徳司さんの著書、「装いの影響力」を読んで和装の歴史を考える?
ご紹介 2021年9月13日
Vol.1678
本日は、「末廣徳司さんの著書、
「装いの影響力」を読んで
和装の歴史を考える?」です。
岡崎市の呉服屋、呉服のいちこし。
和服の貴女が「褒められる」を応援!
貴女の和装のお助けマン、 山脇寿人です。
ご訪問ありがとうございます。
ブログとは、毎日を書くものと
あるブログを読んで教わりました。
そのブログの筆者は、
日本で唯一の経営者専門
スーツ仕立屋「イルサルト」を
経営されている末廣徳司さん。
末廣さんのブログより
2009年に独立後は、スーツを
通したブランド創りの専門家と
して創業以来12年間で15,000名以上
のスーツを仕立てて来たそうです。
その末廣さんのブログが
ある日を境に劇的に進化して
以前より読みやすくなったのです。
それは、毎日ブログセミナーを
受講してからで、あのボスに
会ってから、それならば私も
と思わせてくれました。
その毎日ブログセミナーの
先輩の末廣さんが9月6日に
本を初出版されたのです。
その本の中で
「身体に服を合わせるな
服に体を合わせろ!」
とおしゃっています。
身体に服を合わせるのは
和装からの習慣だと。
そう、もともと和装は、一枚の
布を身体に巻きつけて紐で
結ぶ衣装。
スーツの様にボタンで留める
発想はありません。
形も13世紀の鎌倉時代の
「上着」から殆ど変わらず
現在に至っています。
ところが帯には、変化がみられ
今の様な8寸幅(約30㎝)に
なったのは、江戸時代の事。
当初は、「紐」だったものが
「平ぐけ帯」(幅約6㎝、長さ約3m)となり
今では、お祭りなどの半纏などに締めています。
お借りしました。
その後、桃山時代から江戸初期に
男女ともに用いた名護屋帯。
お借りしました。
もと肥前国名護屋で作られた
丸打ちの帯で両端に房をつけ、
腰に幾重にも巻き、後ろまたは
脇で両わなに結び下げる。
その後、江戸時代に、今の幅に
なりましたが、帯の結び方に
色々な変化が出てきます。
お借りしました。
現在のお太鼓結びは、文化十年(1813)
江戸亀戸天神の太鼓橋が再建落成
されたとき、それにちなんで深川の
芸者衆が結んだ帯の形が元との事。
はじめは、紐で着物をおさえるだけ
だった帯が時代によって変化する
事が面白いですね。
あっ、末廣さんの本は、経営者
だけでなく現代のビジネスマン
の役に立つ本です。ご一読を!
本日もお読みいただき
誠にありがとうございました。