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9月15日は、元「敬老の日」そんな日に私の今後を考える?

ブログ 2021年9月15日

Vol.1680

 

 

 

本日は、「9月15日は、元「敬老の日」

そんな日に私の今後を考える?」です。

 

 

 

岡崎市の呉服屋、呉服のいちこし。

 

和服の貴女が「褒められる」を応援!

貴女の和装のお助けマン、 山脇寿人です。

 

ご訪問ありがとうございます。

 

 

 

 

私たち昭和30年代生まれ

いや、それ以前の方ですと

今日9月15日は「敬老に日」の認識。

 

 

 

国民の祝日だったのですが

2003年(平成15年)より

9月の第3月曜日に移動しました。

 

 

 

 

「長年にわたり社会につくして

きた老人を敬愛し、長寿を

祝う」のが「敬老の日」。

 

 

 

ここで「老人」とは、何歳から

なのかと思い調べてみると。

 

 

 

もともとは55歳以上を対象に

はじまった様ですが、現在

55歳はまだまだ若い。

 

 

 

日本の法令では、65歳以上を

高齢者としています。

 

 

 

 

 

そう、65歳から74歳までを

前期高齢者、75歳以降を

後期高齢者と定めています。

 

 

 

そこで私の祖父、山脇高四郎の

事も調べてみました。

 

 

 

 

 

高四郎爺は、明治30年12月1日

生まれ、大正9年10月22日に

大手はまと婚姻し6男5女を

もうけています。

 

 

 

 

若い頃の高四郎爺を知っている

仕立屋の先生から聞いた話では

ここら辺では有名で「山高」さん

と呼ばれた遊び人。

 

 

 

 

芸者が車夫(人力車を引く人)に

「来てね!」の手紙を託し、

山高さんに届けるとその人力車に

乗って芸者の待つ、置屋に向かう。

 

 

 

 

 

ま、鼻の下を伸ばし、いそいそと

通ったのでしょう。

 

 

 

 

その高四郎爺と同居を始めたのが

私が幼稚園の年中さん、4歳の時

と記憶しています。

 

 

 

 

もうその時には、高四郎爺は

仕事を引退し、日中は昼寝か

囲碁仲間と対局。

 

 

 

 

 

計算してみると62~3歳の

頃の事で、当時としては

普通だったのかも。

 

 

 

 

そして、1972年(昭和47年)

正月1日朝、お雑煮を食べる前

眠るか様に息を引取りました。

 

 

 

享年75歳、私が高校生の時で

日本髪を結いに行っていた

姉が帰宅後、大泣きしたのを

覚えています。

 

 

 

 

 

私は、現在65歳、前期高齢者

ですが、最低でもあと10年

出来れば20年仕事に携わって

いたいと思っています。

 

 

 

そんな事を思った、元「敬老の日」

の朝でした。

 

 

 

本日もお読みいただき

誠にありがとうございました。

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