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隙間時間で訪れた「桂離宮」それは必然であった和装メーカー「蛍庵」さんへの訪問?

ご紹介 2022年2月3日

Vol.1815      

 

 

本日は、「隙間時間で訪れた「桂離宮」

それは必然であった和装メーカー

「蛍庵」さんへの訪問?」です。      

 

 

 

岡崎市の呉服屋、呉服のいちこし。  

 

服の貴女が「褒められる」を応援!

貴女の和装のお助けマン、山脇寿人です。  

 

ご訪問ありがとうございます。        

 

 

 

一昨日、昨日と京都出張1日は、

この日しか展示会を しない問屋さん

と2日午後より お約束したメーカーさん

訪れる為に宿泊。      

 

 

 

 

 

昨日の午前中、隙間時間に初めて

「桂離宮」を参観しこれもご縁と

思った一日でした。      

 

 

 

「桂離宮」は、後陽成(ごようぜい)天皇 の弟、

八条宮初代智仁(としひと)親王に より、

宮家の別荘として400年ほど前に 建立されたものです。     

 

 

 

 

親王没後の荒廃を子息の二代 敏忠(としただ)

親王が1662年頃 までに新御殿や数棟のお茶室、

庭園を 整備されほぼ今日の山荘の姿に整えました。      

 

 

 

八条宮家は、1881年十二代淑子 (すみこ)内親王

が亡くなられる と共に絶えました。    

 

 

 

1883年宮家の別荘として 維持されていた

桂山荘は 宮内省所管となり「桂離宮」

と称され事となります。        

 

 

 

 

創建以来400年、火災にあう事 もなく、

ほとんど創建当時の姿を 今日まで保っています。      

 

 

 

そんな素晴らしい「桂離宮」の

中に茶屋風の「賞花亭」があります。      

 

 

お借りしました。

 

 

茅葺切妻屋根に皮付きの柱 を用いて、

南側の竹の連子窓 (れんじまど)

を通してみる 景色は、心静まるよう。      

 

 

 

お借りしました。

 

 

で、「賞花亭」建築途中に訪れた

千利休の進言により、東と西の壁に

下地窓を設けました。

 

 

 

下地窓とは、竹で組んだ下地を

そのまま残し、周りを土壁で塗る工法。      

 

 

お借りしました。

 

 

 

西側は、壁一面縦に長く採り 東側は、

正面窓と同じ位置で 横に長く採っています。      

 

 

 

 

そして、北側は壁がなく全て 開口部で

池に向かって眺望が 臨める設計。      

 

 

 

で、昨日伺った「蛍庵」(ほたるあん)

さんの メイン商材が国宝のお茶室「待庵」

(たいあん) をモチーフにした数々。      

 

 

お借りしました。

 

 

そして、「待庵」も千利休草案の お茶室で、

こちらも「下地窓」が特徴。      

 

 

お借りしました。

 

 

その「下地窓」を柄にした帯も

創っておられ、正に「蛍庵」さんを

訪れる 為に「桂離宮」にもご縁が

あった様に思います。      

 

 

 

 

さー、新しい品物との出会いが

あり、張り切っていきますよー!        

 

 

 

本日もお読みいただき

誠にありがとうございました。

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