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今日4月9日は、「左官の日」和装業界の職人技を復興させる難しさとは?

ブログ 2022年4月9日

Vol.1878

 

 

 

本日は、今日4月9日は、「左官の日」

和装業界の職人技を復興させる難しさとは?」です。

 

 

 

愛知県岡崎市の呉服屋、

和装を選ぶ楽しさと、纏う喜びを

全力サポートする「いちこし」です。

 

ご訪問ありがとうございます。

 

 

 

今朝、2日目が終了したPGAゴルフ

春の祭典、マスターズトーナメント。

松山英樹は、トータル3アンダーで

首位と5打差の2位につけています。

 

 

 

去年、松山選手が優勝した時は

涙があふれた山脇寿人です。(てへ)

 

 

 

で、今日4月9日は、「左官の日」

日本左官業組合連合会が制定。

四(し)九(く)で「しっくい」の語呂合せ。と。

 

 

 

私が、今の店舗付き3階建て住宅を

18年前の2004年に建て、その前の

自宅は、父が55年前に建てた2階建てでした。

 

 

 

父が建てた時には、左官さんが

土をこね、藁を混ぜて土壁を

塗っていたことを覚えています。

 

 

 

 

 

ですが、私が建てた時は、鉄骨に

石膏ボードを取り付け、その上に

クロスを張るという工程だった様に

記憶しています。

 

 

 

だから、左官さんの仕事は無かった

と思います。(私が見ていない所で

仕事をしていたかもしれませんが?)

 

 

 

でも、木造住宅が少なくなれば

左官さんの仕事も減ると思います。

 

 

あっ、そう言えば畳屋さんが

住宅に畳を入れる事は滅多に

無くなった!と当時、言っていました。

 

 

 

こんな風に職人仕事も需要と

供給のバランスが崩れると

仕事自体、無くなる事も

あるでしょう😢

 

 

 

それは、和装業界も同じで

需要が減少、すれば自ずと

職人の仕事も無くなるのです。

 

 

 

一度無くなった、職人技を

復活させるのは、至難の業。

 

 

お借りしました。

 

 

それの良い例が、「琉球・紅型染」

19世紀後期、琉球処分によって王制

が解体されると、庇護を失った紅型は

その需要とともに火が消えていくように

衰退していったのでした。

 

 

 

再興の機を待つことなく迎えた

のは第二次世界大戦。沖縄戦の

後、壊滅状態となった那覇市。

 

 

 

王朝時代から紅型三宗家として

続く城間家と知念家の継承者の

城間栄喜と知念績弘が戦火を逃れ

戻ります。

 

 

 

拾った軍用地図を型紙にし、

割れたレコード盤を糊ヘラに、

銃弾の薬莢を糊袋の筒先に、

口紅を顔料に、紅型の復興が

始まりました。

 

 

 

 

それからも辛酸を舐めながら

復興に執念を燃やし現在は、

三宗家以外にも玉那覇有公(たまはなゆうこう)氏

など人間国宝も排出しています。

 

 

 

ですので、40年ほど前よりも

現在の方が、品物も手に入り

易くなったのです。

 

 

 

こんな風に、一度消滅した

職人技を復活させるのは、

その技を維持するよりも困難。

 

 

 

でも、後継者がいなければ

消滅していまう事もあるのです。

 

 

 

明日は、そんな消滅しかけの

職人技で創り上げた品物を

ご紹介いたします。

 

 

 

それにしても松山英樹、絶好の

位置につけての決勝ラウンド

見逃せませんね!

 

 

 

本日もお読みいただき

誠にありがとうございました。

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