『今日6月10日は、「時の記念日」和装業界の歩みと私の現役目標とは?』
ブログ 2023年6月10日
Vol.2310
本日は、『今日6月10日は、「時の記念日」
和装業界の歩みと私の現役目標とは?』です。
愛知県岡崎市の「呉服のいちこし」
和装を選ぶ楽しさと、纏う喜びを
全力サポートいたします。
ご訪問ありがとうございます。
今日6月10日は、「時の記念日」
東京天文台と生活改善同盟会が
1920年に、「時間をきちんと守り
欧米並みに生活の改善・合理化
を図ろう」と制定。したそうです。
1920年と言えば大正9年、日本が
欧米に追い付き、追い越せを目標
に国力を上げていく過程の頃。
そして、男性の洋装化の後を
追いかける様に女性の洋装化
も顕著になっていく時期です。
画像は、お借りしました。
と言うのも大正12年(1923年)に
起きた関東大震災で洋服を着ていた
人の方が逃げやすくて助かった人が
多かったな どと言われています。
また、震災後続々と建てられた
洋風モダンな住宅で、それまで
畳に座る生活から椅子にかける
生活へと変化していったそうです。
画像は、お借りしました。
そして元々、飯田呉服店だった
百貨店の高島屋は、大正8年(1919年)
株式会社高島屋呉服店となります。
その11年後の総和5年(1930年)
に株式会社高島屋と改称、わずか
11年で呉服の販売量が急減し名称
から呉服を外したのです。
洋装に押され気味の和装業界で
すが「素材の良さ」「高い技術力」
「豊富な色柄」を武器に対抗。
画像は、お借りしました。
大正ロマン、昭和モダンなど
それまでに無い独特の色柄を
生み出したのもこの頃です。
その後、満州事変や太平洋戦争
などで打撃を受けた和装業界です
が、昭和48年頃までは右肩上がり。
大正11年生まれの父は、業界の
景気に良い時代を歩んできた
ある意味、幸せな人。
片や私は、業界の成績が少しづつ
ですが徐々に下がり始めた昭和52年
(1977年)に業界入り。
その時の父もこれほど下がるとは
思わずに私が業界に入る事に賛成
してくれたと思われます。
それでも後20年余り、88歳
まで現役で仕事をする事を思い
日々精進を心掛けています。
本日もお読みいただき
誠にありがとうございました。