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ブログ

3月11日は、あの「大震災」と「母の死」で忘れる事が出来ません。

ブログ 2025年3月11日

Vol.2946

 

 

本日は、『3月11日は、あの「大震災」

と「母の死」で忘れる事が出来ません。です。

 

 

 

愛知県岡崎市の「呉服のいちこし」

和装を選ぶ楽しさと、纏う喜びを

全力サポートいたします。

 

 

ご訪問ありがとうございます。

 

 

14年前の今日、2011年3月11日は

日本中ではなく世界中に衝撃を

もたらした「東日本大震災」。

 

 

 

被災された方々、被害に遭われた

方々には、お悔み申し上げます。

 

 

 

当日、午後から携帯電話が通じ

なくなり、その時東京在住の兄

の様子を確認できませんでした。

 

 

 

そして、原発の建屋が、爆発し

それをテレビの中継で見た時に

は、大変なことが起きたと実感。

 

 

 

アメリカが、アメリカ人は福島

原発より100㎞以上非難する様に

通達を出したほどでした。

 

 

 

でも当店、その二日後の13日より

ホテルでの店外催事を行いました

が、震災の話題で終始したのです。

 

 

 

そして、その後津波の映像が

どんどん流されて想像以上の

被害に驚愕しました。

 

 

 

そんな中、和装の催事を中止

する小売屋さんが、続出し和装

業界も非常に影響を受けたのです。

 

 

 

月日が、経った2021年の今日

朝7時位に私のスマホに着信

がありました。

 

 

 

その時は、1月から2月に掛けて

ストマ閉鎖手術を受けて当日は

体調が悪くて横になっていたのです。

 

 

 

でも、電話に出ると母のお世話に

なっている施設からで、母が

今朝から反応がないとの事。

 

 

 

なので、隣接の病院で診察を

受けるので、付き添いに来院

して欲しいとの内容でした。

 

 

私は、体調が悪いので奥に

付き添いを頼んで病院まで

行ってもらう事にしたのです。

 

 

 

で、奥より電話があり「もう、

意識がなく、脈もほとんど打って

ないので早く来て欲しい」と。

 

 

 

それを聞いて、飛び起きて

支度をしながら姉にも連絡

して病院に来てもらう様にしました。

 

 

 

姉が、到着したのは10時30分

それを看護師さんに告げると

先生が、診察室に来られ。

 

 

 

それでは、皆さんが揃ったので

「10時35分、死亡とします。」

と仰られました。

 

 

 

その後は、葬儀社に連絡して

遺体の引き取りに葬式の打ち

合わせと進んで行きました。

 

 

 

3月11日、偶然に起きた二つの

出来事でしたが、私にも忘れる

事の出来ない日となりました。

 

 

 

本日もお読みいただき

誠にありがとうございました。

 

 

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