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当店は、今年創業100年私が知っている当店の紆余曲折の歴史とは?

ブログ 2021年6月20日

Vol.1593

 

 

 

本日は、「当店は、今年創業100年

私が知っている当店の紆余曲折の歴史とは?」です。

 

 

 

岡崎市の呉服屋、呉服のいちこし。

 

和服の貴女が「褒められる」最適品を

お勧めいたします!

貴女の和装のお助けマン、 山脇寿人です。

 

ご訪問ありがとうございます。

 

 

 

今日6月20日は、「父の日」ですね

私の父は大正11年生まれで一昨年

96歳で天寿を全うしました。

 

 

 

家族写真、私は母の腕の中

 

 

義父も十数年前に他界して

いますので、二人に直接感謝を

伝える事はもう出来ませんが

心で手を合わせています。

 

 

 

 

そして、もう一人感謝を

伝えたいのは、実の祖父。

 

 

 

 

私が、小学生の時の1月1日

お正月に亡くなった祖父。

 

 

 

その祖父が、大正10年に

呉服屋を創業したのです。

 

 

 

 

当時は、新品の和服ではなく

端切れや足袋などを取り扱い

をしていた様です。

 

 

 

「100年」

 

 

そして、祖父の創業から

今年で100年を迎えた当店。

 

 

 

 

私の記憶が正しければ

幼稚園の時に祖父たちと

当地で同居をし始めたのです。

 

 

親戚との写真、中央が祖父と後に同居した家、右端が引き戸の玄関

 

 

 

その頃は、お店と言うよりも

玄関を開けたら畳の部屋があり

そこに品物が置いてありました。

 

 

 

 

そして、父と父のすぐ下の

弟と二人で外商専門で商いを

していたのです。

 

 

 

 

明治30年生まれの祖父は、

60歳代前半で、その頃には

もう隠居してました。

 

 

 

 

今、思うと早い隠居ですが

その頃では、普通だった

かも知れません。

 

 

 

いずれにしても、今年で

100年を迎えたわけですが

色々、紆余曲折があった様です。

 

 

 

先程も書きましたが、当初は

父と弟と二人での商いでした。

 

 

 

そこに、祖父の弟が市内で

呉服屋のお店を営んでいて

3人で一緒にやらないか?と

話を持ち掛けてきたのです。

 

 

 

 

その頃、お店を持たない

外商専門だった父たちは

お店を持つ事が夢で

この話に乗ったのです。

 

 

 

 

そして昭和39年くしくも

東京オリンピックの年に

新しく「呉服の一越」が

叔父のお店を改装して誕生しました。

*その当時は漢字表記だったのです。

 

 

 

 

当時、花柳界専門に外商を

していた父は、お店の定休日が

火曜日で草野球をする為に

日曜日も休んでいました。

 

 

左が父、芸子さん達と

 

 

 

その頃から週休2日を実践して

いたのを覚えています。

それ程、業界は活況を呈して

いたのでしょう。

 

 

 

でも、花柳界だけのお客様では

先行きを不安視して、一般の

お客様も徐々に増やしていきました。

 

 

 

 

そして、叔父の息子さんが

呉服の勉強より返って来られ

戦力も増えて、これから飛躍を

と思われていた時に大事が起こります。

 

 

 

 

頭数が増えると良い事は

起こり難く、まして親戚が

集まってのお店。

 

 

 

それまででも、余り馬が合って

いなかった弟が、独立したいとの

申し出があり、それを了承。

 

 

 

年取った叔父とまだ一人前に

なっていない叔父の息子を抱えて

一人奮闘するしかない父だったのです。

 

 

 

 

長くなりましたので

明日続きを書きますね。

 

 

 

本日もお読みいただき

誠にありがとうございました。

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