今日12月26日から72候では「麋角解」、有栖川文と名物裂とは?
ご紹介 2021年12月26日
お借りしました。
Vol.1777
本日は、「今日12月26日から72候では
「麋角解」、有栖川文と名物裂とは?」です。
岡崎市の呉服屋、呉服のいちこし。
和服の貴女が「褒められる」を応援!
貴女の和装のお助けマン、山脇寿人です。
ご訪問ありがとうございます。
今日12月26日より72候では、
「麋角解」(さわしかのつのおつる)
大鹿が角を落とす時季。
お借りしました。
和装で「鹿」の模様と言えば
「有栖川文」、有栖川宮が
所蔵していた名物裂・有栖川錦
に見られるため、この名に。
お借りしました。
この名物裂とは、お茶席などで
茶器の仕覆(しふく・茶道で使う
茶入れやお茶椀を入れる袋)や
掛け軸の表装、袱紗などに用い
られる裂地のことです。
室町時代から江戸時代初期に
中国経由で日本に入ってきた
貿易品。
文様を織り出す手法のより
金襴(きんらん・金糸で織り出したもの)
銀欄(ぎんらん・銀糸でおりだしたもの)
緞子(どんす・生糸や練り糸で地紋織物
に織り出したもの)
間道(かんどう・縞模様を織り出したもの)
錦(にしき・2種類以上の色糸で文様を織り出したもの)
風通(ふうつう・表と裏を同文に織り出したもの)
紹巴(しょうは・山形斜文の地組織で織り出したもの)
などがあります。
茶器の仕覆でエピソードを
利休が見出し、弟子の古田織部
へと伝わった名品「本手利休斗々屋茶碗」
(ほんてりきゅうととやちゃわん)。
織部は、戦の軍資金捻出のため
泣く泣く質へと出してしまいます。
師から譲り受けた茶碗
いつか手元に取り戻したく
仕覆は手元に置いたまま。
しかし、質から出したのは
織部の弟子、小堀遠州。
その遠州が戦いを終えた師を
この茶碗でもてなしました。
弟子の気遣いと成長を喜んだ
織部は、懐から仕覆を出して
遠州に譲った、との事。
この様に仕覆と茶器は切っても
切れない間がら、そのお道具に
相応しい仕覆が、あるのです。
こんな風に名物裂は、使われ
現代にも脈々と受け継がれています。
本日もお読みいただき
誠にありがとうございました。