45年前に呉服の道に入ったのです。その2。
ブログ 2023年3月8日
Vol.2217
本日は、「45年前に呉服の道に入ったのです。その2。」です。
愛知県岡崎市の「呉服のいちこし」
和装を選ぶ楽しさと、纏う喜びを
全力サポートいたします。
ご訪問ありがとうございます。
45年前に呉服の道に足を
踏み入れた山脇寿人です。
では、何故私が呉服の道を
進む事になったのか?は、
至極、簡単・明瞭なのです。
学生生活も3年が終わりに
近くなるとその後の進路の
選択を迫られます。
私は、と言えば工学部機械科
に籍を置いていましたが、
ロクに授業にも出ず勉強も
しないノンポリ学生。
当然、成績も芳しくなく工業系
の就職先は、皆無で唯一の就職先
候補は、自動車ディーラーの営業職。
その時考えた事は、同じ営業職
ならば、呉服の営業・販売も同じ
事なのでは、無いか?と。
あっ、当店は祖父が創業して
今年102年になる呉服屋で
私は、三代目となります。
その時、車の買い替えを考えて
いて父に車を買ってくれたら、
呉服屋を継いでも良いよ、と。
軽い気持ちで伝えてみると、
直ぐに車を買ってくれました。
それが昭和51年頃で、和装業界の
最盛期が昭和48年∼49年、まだまだ
陰りが見えない時代だったのです。
そして、当時当店のメインの
お取引先だった京都の問屋さん
「川勝商事(株)」さんに父が相談。
山崎専務さんの推薦で最初の
勉強先候補が大阪の大店
「小大丸」さんだったのです。
小大丸さんF.B.より
が、「小大丸」さんは、従業員
さんも多く勉強生を受け入れる
寮も完備、が帰店した時のギャップ
が著しい、となり。
イトカワさんH.P.より
新進気鋭、神戸の「丸三イトカワ」
さんの方が、呉服屋の一から十まで
学ぶ事ができるとの判断で、決まったのです。
また、父が勉強していた
「モラロジー」(最高道徳)を
社長さんが長年実践されている
所も勘案された様です。
そんな訳で、神戸の「丸三イトカワ」
(現、きもの百科イトカワ)さんに
お世話になる事になったのです。
では、何故この様な45年も
前の事を記事にしたか?と
言えば、それを記念した展示会
を今月、催します。
題して、
お陰様で呉服この道45周年記念
京友禅の最高峰「染の一富司」展
を開催いたします。
一富司さんの経歴や品物に対する
こだわりなどは、明日からの当ブログ
で記事といたします。
本日もお読みいただき
誠にありがとうございました。