徳川家康時代の衣装は現代とは違います。 | 着物・貸衣装・レンタルなら岡崎の「いちこし」へ。

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徳川家康時代の衣装は現代とは違います。

ご紹介 2019年9月18日

徳川美術館蔵

 

 

 

Vol.948

 

本日は、徳川家康時代の衣装は

現代とは違います。です。

 

岡崎市の呉服屋、呉服のいちこし。

 

着物を装い素敵になり、

ほめられて笑顔になる、

笑顔作りアドバイザーの

山脇寿人です。

 

ご訪問ありがとうございます。

 

 

昨日のブログ、郷土の英雄

「徳川家康」を記事にしました。

 

そうしたら

毎日ブログセミナーの同期

癒業と医業を繋ぎ心に優しい社会を創るの

サチさんこと藤川佐智子さんが

サチさんのブログはこちらを

「きっと私は、家康の側室で家康に呼ばれて

愛知に来たんだ。と思った。」とコメント。

 

 

そしたら、小牧で小規模保育園の

園長をしている、さかえ先生こと三輪栄さんが

(この人も毎日ブログセミナーの同期

さかえ先生のブログはこちらを)が

「家康の16人の側室をイメージした着物の

紹介したら」とコメント。

 

 

家康の頃は、友禅染がまだ発明されてなく

三纈(さんけち)が主流。

 

 

三纈とは、

﨟纈(ろうけち)は、蠟で麻、綿、絹の生地の

部分を覆って防染することにより,

模様を染めあらわしたもの。

 

 

夾纈(きようけち)は、二枚の薄板の間に

布をはさみ、板に彫り抜いた模様の

部分から染料をしみこませて染めたもの。

 

 

纐纈(こうけち)は、麻、綿、絹の生地を

糸でくくって浸染し、文様を染め出すもの。

絞り染めの事。

 

生地に模様を付けるための

防染方法が三纈しかありません。

 

 

 

家康は纐纈(こうけち)を使って柄を表す

「辻が花染め」がお好みらしく

徳川美術館にも遺品が残されています。

 

 

また、京都の呉服商「雁金屋」が

家康からの注文品として

辻が花染で色柄を指定をした

小袖の資料が残っています。

 

 

そこには、葵の3っ紋が

絞りでしっかり入っています。

 

 

 

また、家康は自分がまとった

陣羽織や小袖を家臣に与え

功労に報い、忠誠を誓わせたようです。

 

 

 

江戸時代初期の

和服は、白生地を染める「三纈」か

あらかじめ染めた糸を織る

「御召」しかありませんでした。

 

 

そんな当時、側室も階級で

お召しになる衣装も違って

いたのではないでしょうか?

 

 

そんな、家康時代の衣装を

再考察するコメントをいただいた

お2人には感謝いたします。

 

ありがとうございました。

 

 

 

本日も、お読みいただき誠にありがとうございます。

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